[2010年07月21日]
外交史料館特別展示会のお知らせ

- 「外交史料に見る日本万国博覧会への道」
- 日本万国博覧会?
くららがちょっと疑問を感じている
- 「万博」と略していえばわかるのではないかの。ちょうど40年前の1970年(昭和45年)に開催された大阪万博の正式名称を、「日本万国博覧会」というのじゃ。大阪万博は日本で初めて開催された万博で、6400万人以上という万博史上最大規模の来場者があったのじゃ。
ぶん蔵が話している
- 今上海でやっている、あの万博かな。この間愛知でもやっていたよね。昔からすごいイベントだったんだ。
くららが口を開けてひらめいた
- 実は、「日本万国博覧会」という名前で計画された万博は、もう一つあるのじゃよ。
ぶん蔵が考えている
- それハ、1940年(昭和15年)に計画された、東京での万博計画デス。
アルチーボが話している
- 現在のお台場近辺の埋立地が会場に予定されていたのじゃが、当時日本は日中戦争の真っ最中だったため、開催することができなかったのじゃ。計画図が残っておるぞ。
ぶん蔵が話している

- 1940年に計画された東京万博の計画図
- お台場なんて、おしゃれモジョ!
もじょじょがビックリ!
- この計画は「中止」ではなく「延期」とされていたので、30年後の大阪万博はこれと同じ「日本万国博覧会」という正式名称がつけられたというわけじゃ。
ぶん蔵が話している
- 念願かなっての大阪万博だったのね。
くららがひらめいた
- ちなみに、日本が外国の万博に初めて参加したのは、いつかわかるかの?
ぶん蔵が話している
- 明治時代…くらいかな?
くららともじょじょが並んで考えている
- 惜しい。なんと幕末の1867年(慶応3年)のパリ万博なのじゃ。
ぶん蔵が感心している
- この万博にハ、幕府から徳川15代将軍慶喜の弟、徳川昭武(あきたけ)が特使として派遣されまシタ。また、幕府以外にも薩摩藩と佐賀藩が出品してオリ、薩摩藩は独自の勲章を作って、自分たちが独立の国家であるかのようにアピールしまシタ。これハ、その図デス。
アルチーボがひらめいた

- 薩摩藩が作った勲章の図(『続通信全覧』より)
- 時代はまさに幕府が倒れる直前のことで、弱体化していた幕府は、薩摩藩が独立国として振る舞うのをやめさせたくとも、なかなか思うようにはいかなかったのじゃな。
ぶん蔵が考えている
- 今回の特別展示では、日本が万博に初参加してから、大阪万博が開催されるまでの100年あまりを、外交史料で振り返るのじゃ。
ぶん蔵がビックリした
- これらの史料以外にモ、明治政府になって初めて参加した1873年(明治6年)のウィーン万博関係史料や、1910年(明治43年)の「日英博覧会」のパンフレット、大阪万博に来訪した各国の要人のアルバムなど、日本と万博の関係を示す史料が全部で20点展示されマス。
アルチーボが話している
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